今回は、今も残る新聞の列車輸送にでくわしたお話をします。
全国紙やスポーツ紙は、大昔、地方へは列車で運ばれていくのがほとんどでした。各紙、「14版」といった版をいちいち作って、編集の締め切り時間があるのがその理由です。しかし、近年、各地に全国紙の印刷工場を建設したり、地元紙やほかの全国紙に印刷を依頼するようになってからは需要が完全になくなり、数多くあった新聞の列車輸送が廃止になりました。平成時代でも新聞輸送は一部残っていて、高崎線、総武本線(両国の荷物専用ホームから、旧横須賀線系列車にて)、名鉄線などで行われています。そんな中で、残念ながら総武本線の列車輸送は近年廃止になりました。今回は、私が高崎線を利用した際にたまたま、その列車輸送に出くわしたので、そのレポートしたいと思います。
この日乗ったのは、上野駅14番線当駅始発ホームから13時30分に発車する高崎行き列車です。前から一番後ろの車両の一部が「荷物用」というカーテンに区切られていました。新聞の束に貼り付けられている伝票を見てみると、駅名が書かれていて、その下にも地名らしきものが書いておりました。おそらく例として、「上尾駅に卸して、上尾西部の販売所に持っていくよ」という表示だと思われます。ここで、載せられていたのは、毎日新聞夕刊と東スポがほとんどでした。奥には、読売夕刊と夕刊フジも見えました。新聞販売店に配達用に卸すもの以外に、駅のキオスク・コンビニ(ニューデイズ)に販売する用のものも運ばれているようです。
なぜ、北関東にも各紙印刷工場があるはずなのに、こんなことをしているのか。次のことが考えられます。特に東スポや夕刊フジは、東京の沿岸部(東スポ・毎日系は越中島、夕刊フジは浦安千鳥町か江東)で印刷されています。別にトラックで輸送してもいいんですが、平日日中というと、都内や首都圏では多くのクルマが仕事などで動いている時間帯なわけです。そんな中で新聞輸送トラックを高崎線エリアに運ぼうとしても、もし都内や首都高で大渋滞に巻き込まれた時、配達にや販売に多大な遅れが生じるわけです。そういったことを防ぐためにも、人身事故などで運転見合わせをしない限り正確に運べる列車輸送が残っているのだと思われます。また、2枚目の写真のお手製路線図のように高崎・宇都宮線は東海道線と上野東京ラインによって直通運転されています。しかし、そのような状況下でも、上野始発の列車が残っているのはこのためということは過言ではないと思います。
くどけんの新聞放浪記
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